国際プロレス
三沢追悼特集EAST
三沢追悼特集WEST

追悼 ラッシャー木村〜心優しきデスマッチの鬼〜

プロレス黄金時代に中継番組の枠を持っていたテレビ局でfあっても、いちプロレスラーの訃報を伝える事は少ない。

それゆえ、昨年の三沢光晴急逝の報をプロレス中継にゆかりのない局までが流したことはその死に対する衝撃を増幅させた。
だが、黄金期にメジャー団体のトップに君臨した三沢はまだしも、レスラー人生のほとんどを日陰で終えたラッシャー木村が日本テレビ系列はともかく、古舘伊知郎がキャスターとはいえニュースステーションですら訃報が伝えられたのには驚いた。

零細団体のエースとして頭角を現したレスラー人生の悲しさか、国際プロレス崩壊後もリストラ社員の如く各団体を渡り歩く憂き目に遭う。

中でも、個人的に印象深いのがなんといっても、初期UWFへの参戦につきる。
だって…「あの”U”だよ!”U”!」

旗揚げ時はグラン浜田やペロ・アグアヨといったルチャドールも登場していたのだから…といえば、それまでだが、その後の”超ストロングスタイル”夜明け前の顔ぶれに木村の姿がある。その違和感は国際プロレス時代から生で観戦している自分からは強烈な記憶だった。

そういえば、この下段にあるUWF時代の写真のタッグ・パートナーは剛竜馬。
彼も昨秋、亡くなっていたのだ。

昭和プロレスからのファンとしては”マイクの達人”誕生は、あの「こんばんは」からでなく昭和53年2月25日のジャンボ鶴田戦後の「蔵前のときといい、この大阪の試合といい、まったく私はついてないですよ!」という嘆きのマイクからである。血だらけの顔面にタオルを巻いてぼやく姿は最高!
後に編集されてマイクパフォーマンス集として流されたコーナーがYOU TUBEにアップされていたので、ぜひ見てほしい。

 ラッシャー木村マイクグラフィティー
 http://www.youtube.com/watch?v=bgEyBN4N4zU

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