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追悼 ラッシャー木村
2012年12月21日
'96年に交通事故で胸から下が付随となり自宅のある大分で夫人とリハビリ生活をしながら、リサイクルショップを経営していた、あの"まだら狼"上田馬之助選手が亡くなりました。
享年71歳

WESTでは追悼の気持ちを込めてページを追加いたしました。
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2010年5月24日
ラッシャー木村逝去。
享年68歳

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ミスター・ヒト氏追悼コラムはWEST担当TOMOが特別寄稿しております。
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国際プロレス
三沢追悼特集EAST
三沢追悼特集WEST

1984年 鶴田AWA王座奪取 1984年 史上最強タッグ ハンセン&ブロディ

平成の四天王プロレス。
それが、プロレスをちゃんと見ていた最後の時期だろう。新日でいえばUインターとの対抗戦か…。

そのあとは高田とヒクソンで始まったPRIDE、そしてK-1の格闘技路線へ中心軸は移り、いつしか最新プロレス事情難民と化すことになる。

とはいえ、ノアやIWAジャパンなど誘われて会場まで足を運んだことはある。
でも、二年から三年に一度程度のほとんど『うるう年』観戦に近い状況で、個人的にまったく線とならないスポット《点》の世界を目にしたに過ぎなかった。

近年がそんな感じなら、自分のプロレス最盛期は、どんな状態だったか…。

二、三年にどころか、年にいや月に二、三度、高校時代は授業が終わると後楽園ホールに直行していた。

そのほとんどが、このサイトに全て網羅してある。

初観戦からは、さすがにカメラは持参していなかったが、二回目からは、たしか友人に借りて一眼レフを持参して写真を撮るようになった。
なぜ、撮影しようと思ったのか、当時は考えもせず、普通のことだった。

今こうして、あのころの写真を見ていると、まだ現在のような情報過多の時代ではなかったこともあったし、あくまで自分の目で感じた一瞬を《オリジナル》で残したい思いで夢中でシャッターをきっていたのだろう。

だから、ここにあるのは、もう同じように撮ることなんてできない情熱の結晶というわけだ。

KATSU

友達の影響でプロレスを本格的に観だしたのが昭和50年。
最初で最後の猪木vsロビンソンが行われた年だった。

翌年には初の生観戦。プロレスの生の迫力に魅了されすっぽりとこの世界に嵌ってしまった。
そして、あこがれの選手を写真に収めたいというキッカケで、カメラという別の趣味も派生した。
まさに、自分の青春時代はプロレス三昧であった…。

私は、この頃からプロレスに夢を抱き始めた。
常に、誰が最強なのか?誰と誰が戦えばどういう試合になるだろう…!?
また、その夢のカードが実現すると分かれば、試合当日までワクワクしどうしだった。

しかし、時は流れた。
WWEのカミングアウト、高橋本の発売…。
もう、プロレスは誰が一番強いのかではなく、誰が一番巧いのか?になってしまった。

ただ、昭和の「あの頃」のプロレスに夢を持ってたのは、紛れもない事実であり、そんな昔の名選手、名場面を少しでも多くの方に見て頂けたらと思いから、馬猪(マッチョ)的寫眞舘というHPを作成した。

そんな中で、ある日同じ様な思いで昭和の写真をアップしているHPを発見!
今迄、出会った事がなかったので、えらく感動した。
それが、現在のEAST担当のKatsu氏である。
そして、2人は意気投合し、お互いのHPはやがてひとつとなり、このサイトが誕生した。

つまり、手前味噌だが、この2つのHPが合体したと言う事は、昭和プロレスの写真サイトでは、ハンセン&ブロディ級の最強タッグになったと言い切れるのではないか。
百聞は一見に如かず…まずは、じっくりご覧頂きたい。
そして、昭和の「あの頃」を懐かしんで、または知って頂ければ幸いです。

TOMO